Saturday, March 10, 2012

9・11 – ナイン・イレブン



3・11 1周年。人々が1年前の事を改めて思い話し聴き記している。 
そんな中、ニューヨークで目の当たりにした過去の9・11を思った。 

体験した直後に長々と英語で綴った日記があった筈なのだが、コンピューターを転々としているうちにエッセイフォルダーから消えてしまっている。Damn it. 

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2001年9月11日朝、大きなポートフォリオバッグを担いで私はいつものようにブロンクスのアパートを8時過ぎに出て、朝の授業に出席する為に当時通っていた州立大学へと向かった。 
大学はマンハッタンのミッドタウンでもウォール街に近い27丁目にある。地下鉄でおよそ35分で着くのだが、その日の電車は何かおかしかった。ニューヨークの地下鉄の事故や故障や遅れは日常茶飯事。 でもその日は、ストップ・ゴーの仕方が異常なように思われた。動いたと思うと突然がくんと暗闇の中で静かになる。もうすぐ9時、授業に遅れてしまう。世界一聞き取る難易度が高い(ラテン系やアフリカン系のアメリカ人が独特の強い訛でぼそぼそと早口で呟いているのだから)と有名な地下鉄内アナウンスからは、いつも通り何が起こっているか理解不能。 
何とか大学傍の駅に到着し、クラスルームへとダッシュする。9時に始まる授業にちょい遅刻したが、生徒は半分程しか集まっていない。教授の姿は無し。10分、15分と経過し、それからぽろぽろと生徒が集まる部屋の中で、『あの時間にうるさいマイヤー教授が?』と私も含め騒ぎ始める生徒達。 
20分程経過しただろうか、騒然となり始めている部屋に初老のマイヤー教授が飛び込んで来た。 
『大変な事が起こってしまいました。身支度をして帰宅出来る状態で、皆講堂に集まりなさい。』 

巨大スクリーンが中央に位置する講堂には既に大勢の生徒が集まっており、教授達の表情からも尋常でない雰囲気はすぐに読み取れた。スクリーンに映されるツインタワーからもくもくと激しく立ち上がる煙。青空をバックに鮮明なその姿が目に飛び込み、新しいCGの発表会かと一瞬思う。その途端、ゴゴゴゴゴーッと音を立てて最初のビルが崩れ落ちた。 
何故こんな映画を今見せられているんだろう。 
Surreal – ビビッド過ぎるその光景はあまりにも非現実であった。信じられなかった、信じたくなかった。けれどビルが崩れると同時に一気に起こった叫び声はしっかり現実で、号泣し出す人までいる。 

信じられなかった、信じたくなかった。 
ツインタワーを中心にした摩天楼は、私にとってはかけがえのない存在だった。 

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私が突然ニューヨークに単身飛び込んだ経緯は深く複雑である。 
敢えて端的に言えば、不運に不運が重なってほぼ全てを失ったから。全てを失って茫然自失状態で周りを見た時に手元にあったのは、丁度亡くなった祖父が意表をついて残してくれた100万円と、目の前に転がっていた不真面目に続けていた英会話のテキストブック。 
アメリカに行こう。 
お金もコネも友達も親戚も当ても目的も英語の能力も住む場所も生活の手段も何もない。けれど100万円を使い切って泣いて日本に戻って来ても、今と変わらないだけ。ダメモト。失うものがないから怖いものはなかった。 
何故ニューヨークなのか。 
何も深く考えず当然だろうと選んだ場所は、当時は目を瞑って地図を指差してみました的に考えていたが、思えば昔からの想いが無意識に重なっていたのだろう。 
子供時代、東北の田舎町や郊外を転々としていた私の家族。その為であろう、大都会がずっと憧れだった。中学の時にマンハッタンの摩天楼夜景写真のタペストリーを購入、自分の部屋の窓に掲げ、まるで自分の窓から摩天楼が見えているような気分に浸っていた。 
学生時代毎日のように眺めていたその光景が、それから何年も経った時にも深く脳裏に焼き付いていたに違いない。 

怖いもの無しで全くの白紙から始めた新地での生活は何もかもが新鮮で、生まれ変わった私がいた。生きている意味と感動を改めて理解した。どんなに苦しくてもつらくてもやり切れなくても、私を包む空気は光り輝いていた。洗濯物を抱えてランドリーに向かいながら、呼吸1つ1つを楽しんでいた。 
それでも、若さと余る体力があったから出来た生活は本当に大変だった。1日3~4時間の睡眠、1日3ドル(約300円)以下しか使えないのは当たり前。日中は25セント(25円)のベーグルで凌ぎ、夜は日本食屋でのバイト先でのまかない食で凌ぐ。バイトを重ね走り回っているうちに、インターン先のギャラリーオーナーから提案された『大学』という道。締切りギリギリの時、無い時間を絞り出して勉強して合格。プロのアーティストになろう、やっと目標が出来たその頃。 
苦しくてつらくてやり切れなくなった時、日が沈む頃に行ったのがブルックリン橋。長い橋を真ん中までてくてくと歩き、そこから言葉に尽くせない光景を眺める。暗くなる世界にそそり立つツインタワー。世界を圧倒するビルからの数え切れない灯り。30分、1時間、時間が許す限り生の摩天楼を眺め続けた。 
彼らがそこにいる限り、私は大丈夫だと思った。 
生のツインタワーが、私に勇気と力と励ましを与えてくれた。 

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『みなさん、今すぐ自宅に帰りなさい。ここに留まっていては帰れなくなります。』 
大声で舞台中央で叫んだのは副理事長だった。 
転がり落ちるように講堂から流れ出す人々。 
唖然と佇む私。まだニューヨークに親しい友人も家族もいない身、電話する相手も迎えに来てと頼む相手もいない。どうやら地下鉄は何本か動いているらしいから、アパートには帰れるかもしれない。でも私の頭の中にあったのは、 
“今夜のバイト今夜のバイト 今夜のバイト 今夜のバイト 今夜のバイト 今夜の…” 
大学のカフェテリアで課題を片付け、午後になってから、どうやら地下鉄もバスもなくなってしまっているらしい街の中へ出る。7番街に立つと、空を覆い隠すように立ち並ぶビルの向こうに、もくもくと生々しく立ち上る煙があった。 
不思議な事に、涙はそれまで出ていなかった。というより、感情が私の中から消えていた。ただひたすら頭の中を埋め尽くすのは、 
“今夜のバイト 今夜のバイト 今夜のバイト 今夜の…” 
これがパニックというヤツなのか。感情に支配されていては、1人で生きている私は生き残れない。そんな余裕は私にはない。 

道のあちこちが封鎖され、目に映る車輛は救急車とポリスカーだけ。信じられない数の警官達のウォーキートーキーから頻繁に聞き取れる情報。もう電車はない。バスもない。でも肝心のウォール街はどうなっているのか。何故か一度も呼び止められることもなく、事故現場により近いソーホーに向かって、今は黒々と見える煙に向かって、通れる道をひたすら歩き続けた。 
バイト先の、騒然とした街仲に佇む 日本食レストランにようやく辿り着き、 店内が真っ暗な鍵のかかったドアの前で膝を抱えて座り込む。4時くらいに着き、こんな時に食事をしにくる人がいる訳がないとはっと我に返ったのが5時半。 
慌てて飛び起き、走るように煙の反対側へと逃げ始める。 
警官達のウォーキートーキーから聞き取れる情報で、Aトレインがかろうじて動いていることや臨時バスの情報を収集し(当時はスマホがないどころか、携帯だって役立たず)それでも最終的には疲れ切った足を引きずって自宅に辿り着いた頃には夜はすっかり深まっていた。 

真っ暗なアパートでカウチに倒れ込む。電話は一切通じない。コンピューターの電源を入れ、家族知人に私の無事を伝えないといけないことをようやく思う。メールに入っているのは、 当時フランスのパリに住んでいた恋人と、日本にいる弟からの心配したメッセージ。どうやら時間的に、ニューヨーク現地にいる私達より、日本のプライムタイムニュースを見ていた日本人の方が状況を把握しているらしい。そういえば、私、何も知らない。何が起こったの。どうしてこうなってしまったの。 
彼と弟に返信してから、テレビを付ける。 

崩れ落ちるツインタワー。 
崩れ落ちる私の励み。 
初めて転がり落ちる涙が、それから一晩中止まらなかった。 
夜中1人、号泣していた。 

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3・11は東京で皆と同じような経験をし、帰宅難民的な中でメジャーな被害もなく、家族親戚も皆無事で、友人の安否も確認出来た。 
ただ、この出来事には個人的に途轍もなく大きな意味が1つある。 

この震災で、それまで苦しんでいた結婚生活にやっと終止符を打てた。 

この震災の直後に、日本では大勢の人々が結婚あるいは離婚をしたと聞く。こんな経験をすると、自分の人生にとって一体何が大切なのか真剣に考える、貴重な時間を一瞬とも無駄に出来ないと心から思う。私は私の為に生きなければいけない。私は世の中で1人だけなのだから。 
ニューヨークで出会ったアメリカ人と結婚し、そのことに依って皮肉なことに東京で生活することになってから、リンボー(Limbo)の中に長く閉じ込められ自分を失って身動き出来なくなってしまった私、そこから開放され自分と自分の世界をやっと見付けることが出来たのは、この出来事の為。 

以下は、ほぼ自分の為に今綴ってみる当時の自分のツイッターから。 

I am Japanese, and I am proud of it. – 3/12 
3/12 私は日本人、そしてそれを誇りに思う。 

We are rescheduling this event due to the recent quake disaster, and turning into a earthquake fundraiser. Save our beautiful country. 
Thank you for your support and love. – 3/15 
3/15 このイベントは震災により延期し、震災被害者救済イベントへと変更します。この美しい国を守りましょう。援助と愛を有り難うございます(※3/11は私の個展のレセプションが予定されていた)。 

I never felt proud to be Japanese this much -- what a strong country with beautiful spirit. – 3/15 
3/15 日本人としてこれほど誇りに思ったことはない。美しい精神を持ったなんて強い国なんだろう。 

Some friends and family are telling me to come to the States. However, I want to stay and work in Tokyo so our economy won't collapse. – 3/17 
3/17 友達や夫の家族の何人かはアメリカに来いと言っている。けれど経済が崩れないようする為に東京に残って働き続けたい。 

2:46 PM, pray for those who suffered and died. – 3/18 
3/18 2:46 PM、被害を被った人々と亡くなった人々の為に祈ろう。 

My life's been changing dramatically. If you keep moving no matter how hard your life is, greatness and happiness will meet you in the end. – 3/20 
3/20 私の人生は劇的に変わっている。どんなに人生が厳しくても動き続けてさえいれば、必ず素晴らしさと幸せが終わりに待っている。 

Thank you very much everyone for your support and love, I had a great night at the Pink Cow. Japan is such a beautiful country – 3/22 
3/22(震災イベントの日) みなさん援助と愛を有り難う、ピンクカウで素晴らしい夜を過ごしました。日本ってなんて美しい国。 

My boss told me yesterday, that his friend went to Shinjuku on Monday, stood on the street asking for donations, and he collected 360,000 yen within mere 3 hours, and almost all donators were young Japanese people. 
This story moved me and I felt like crying 
We have great young people here. I am sure this country will recover and get even better soon. – 3/23 
3/23 昨日社長が教えてくれたのだが、彼の友人が月曜日に新宿に行って寄付金を募る為に道端に立ち、たった3時間で36万円集まり、しかも寄付した人々は殆どが若い日本人だった。 
この話で私は泣きたくなった。 
この国には素晴らしい若者がいる。私達が立ち直って更に良くなることに疑問の余地はない。 

My second life started when I flew to NYC. Now the third life has just started today. I know it will be as wonderful. Thank you everyone I met in the previous life, what I am now is thanks to all of you. -3/25 
3/25(離婚が成立した日)私の第2の人生はニューヨークに飛んだ時に始まった。そして今日、私の第3の人生が始まった。同様に素晴らしくなることが分かる。以前の人生で出会った全ての皆さん本当にありがとう、今ある私は皆さん全てのお陰です。 

Realizing that I am surrounded by caring people who have always wanted to see me happy, and who are happy to see me happy now. – 3/27 
3/27 常に私に幸せになって欲しいと願っている人々、そして今私の幸せを見て幸せになってくれいる人々に囲まれていることに、今気付いている。

Wednesday, January 4, 2012

ラブレター Love Letters

それは他のガラクタや書類の中からふと現れた。
13年ほど前の恋愛の欠片。存在さえ忘れていた、当時の彼からのラブレター、そして私の日記があちこちに散りばめられた当時の手帳。
NYへ行く前の古い古い昔の恋。すっかり記憶から消されていた当時の深い感情と愛情が、そこに赤裸々に刻み込まれ、躍動感溢れて私の目に飛び込んできた。

☆☆☆

過去の数々のラブレターの中で最も感慨深く切ない1通は、ある寒い1月の夕方に届いた。
始まりは、岩手に住む母からの短い電話。
「Chrisから厚い手紙が届いたんだけど。」
どうしようかと思った、開けようか捨てようかいろいろ考えたんだけれど、決めるのはアンタだから、と、東京のアパートに送ったという。

Chrisは、NYに住んでいた時の恋人だった。生活を共にし、仕事も一緒にし、心から愛した人、”Love of My Life”と心から信じ、終わりのない二人の生活を疑いもしなかった。
なのに、終わりはやってきた。未来のない関係を受け入れることは、死ぬほど辛かった。必死で断ち切り振り切ろうと苦しんだ期間は長かった。
そんな中NYで出会ったShane。とある理由で半年ちょっと1時的に日本に戻る私を追い、彼が付いて来て、そのまま東京でプロポーズされて結婚。ひょんなことから出会った飲食業プロデュース界でのデザイン業が波に乗り、友達も出来始めて東京生活が面白くなり始めた頃、夫となったShaneと話し合いをし、これも良い機会だから東京生活をもう暫らくトライしようかと、取得直前のアメリカビザを辞退しNYに戻るのを延期し、二人で日本生活を続けることに。
Shaneとの愛と笑顔に毎日包まれ、ようやく訪れた平穏な生活の只中に、その1通はやってきた。
「厚い」なんてもんじゃない。はち切れそうな封筒の中から飛び出してきたのは、手紙というより書類。短編小説的な量の、見覚えのあるかわいく几帳面な手書き文字。
今になってどんな怒りを私にぶつけようというのか。恐怖で体が硬くなり、読まないで捨てようかと長いことためらった。けれど、私に伝えたいChrisの今の気持ちを知らないまま今後の人生を歩むのも同様に怖かった。Chrisとは一切連絡を絶っていたから、私の日本行きまでは知っていたけれどその行き先までは知らない彼、私の両親の住所は知っていた。そこまでして私に届けたかった彼の「なにか」。文句と侮辱の言葉を覚悟し、読んだ後に立ち直れなくなるほど思いを引きちがれるかもしれない覚悟をし、震える手を抑えながら読み始めた。

散りばめられた文字達が、彼の精一杯の素直な気持ちで悲しく切なく苦しく懸命に踊っていた。留まることなくつづられていたのは、私との生活、一緒にやってきた事、思い出して微笑む数々の思い出、懐かしい出来事。
一緒にギターを弾いた、一緒に公園で走った、一緒にテレビを見た、一緒に野球を見に行った、一緒におしゃべりした、一緒に仕事の準備をした、一緒にドライブした、一緒に電車に乗った、一緒に料理をした、一緒に寝た、一緒に笑った、一緒に泣いた、一緒に色んなものを見た。
今になって分かる価値。感謝しなくてごめん、料理にケチつけてごめん、助けてあげられなくてごめん。もう遅いけれど、全部ごめん。時間がかかっても、また元気になって。傷を癒してまたオレの好きだったアスカに戻って。

今更何よ。行き場のない感情が私の体中を走る。こんなにも私のことを知っている。こんなにも私を理解している。なのに、どうして私を突き落としたの。私を散々傷つけた後で、今更どうしてこんな事を伝えるの。その通り、遅いのよ、戻ることは不可能なのよ。
理解不明の涙が止まらない。丸2日泣き続けた。いたたまれない動揺を夫のShaneから隠すことは不可能で、完全に察しながらも聞きだそうとしない彼に説明することも諦め、ただその手紙を見せることにした。彼のデスクにそのはち切れんばかりの封筒を置き、前の恋人からの手紙であること、今泣いているのはそのせいであること、読むのも読まないのもShane次第、どちらにしても今から1週間後に捨てること、を懸命に伝えた。
無言で頷き、手紙をコンピュータの後ろに立てかけるShane。その手紙はその後1週間その形を一切変えることなく、そこにずっと同じ状態で座っていた。
1週間経ち、私はその手紙をデスクから取り上げ、燃えるごみの袋に放り込んだ。

☆☆☆

愛情溢れた結婚生活に影がさし、もがけばもがくほど悪化する負のスパイラル地獄に落ち始めたのは、それから1年ちょっとが経過した頃。それまでは心から幸せだった。仕事、家庭、友人達、全てが上向きに見え、自信に満ち溢れた日々。何も怖くなかった。何でも可能だと思った。
東京での生活に落ち着いてからも、家族や友人やクライエント達を訪れにShaneと一緒にアメリカに毎年2回ほど行っていた。その都度Shaneの隣で微笑みながらも、振り切れないどうしようもない感情が私を解放してくれなかった。
過去の恋人は、どんなに別れが苦しくても、いずれ過去になる。大抵は、次の恋愛が始まる頃。「過去になる」とは、思い出してもどんな感情も一切湧き上がらないこと。そんな事があったねと、他人事のように口に出来ること。
それがChrisの場合、他の人と結婚した後でさえずっと出来ないでいることに気付いていた。普段は考えないし思い出したりもしない。Shaneへの愛情は本物。けれどほんのたまに見てしまう夢 --- Chrisに電話をしようとして、どうしてもダイアルが出来ない。Chrisの姿を見つけ、追っているのにどうしても追いつけない。歩こうとしているのに歩けないような苦しさ。目が覚めるときに襲うのはいたたまれないほどの苦い気持ち。
かつてNYで毎日のようにダイアルしたChrisの電話番号は、思い出すつもりがなくても目をつぶってでも出来る。アメリカの地に足を着ける度、ダイアルしたくなる衝動。彼の元に戻りたいのでは全くない。やり直しをしたい気持ちは一切ない。望んでいたのは、彼から心から解放されること。苦い夢をもう見たくない。彼に、過去になってもらいたかった。
でも電話をしてどうするというのか。何を話すというのか。自分の感情が何かすら分からない。彼に何を求めたいのか検討もつかない。
そんな日々の中、Shaneとの終結がやってきた。

Shaneとの終わりにChrisは一切関係ない。あの手紙以来Chrisの話をすることは一切なかったし、日本にいる時は100%Shaneに想いを託し、彼を愛した。別れがお互いにとっての幸せなのかも知れないと気付いてからも、結論に達することが出来たのはそれから1年以上の後。後悔はしたくない、だから結論を出す前に、思いつく限りのこと、出来る限りのことをトライしたいと思い、出し尽くすほどのベストを尽くした。
だからこそ、無理に一緒にいてお互いを傷付け続けるのが答えではないと、悲しいながらも理解に至り、離婚を決意。

離婚成立後、書類整理、身辺整理、引越しと毎日の仕事の中でばたばたし、落ち着き始めた辺りに、雑用を片付けに1人でNYに飛んだ。
半月ばかりの滞在中、コネチカットに住む友人宅に招待されて、ある週末のお昼時、グランドセントラル駅からメトロノースに乗った。
夏の太陽が気持ちよく、車窓から見える緑が目に心地よく飛び込んでくる。アパート、川、公園、私もかつて一部であったNYでの生活を眺めながら、私の指が携帯電話の番号を押していた。頭から消えることのない番号を。
“Hi Chris, it’s Asuka(クリス、アスカだよ).”
“...”
“Hello?”
“...”
“Chris? It’s Asuka.”
“...”
“Can you hear me(聞こえてる)?”
拒否されるかもしれないことは覚悟していた。長い沈黙、やっぱり駄目かと思った。自分自身、何を言うつもりで電話をしてるのか分からない。別れてから5年近く、あの手紙から3年半が経っている今、何の為に電話したと怒られても仕方がない。彼だって、私のいない新しい生活でとっくに次のステップに移ってるんだろうから。
“Yeah, yeah, I can hear you(うん、うん、聞こえてるよ).”
思いつめたような長く重い無言をいきなり破って私の耳に入ってきたのは、吹っ切ったような明るい声だった。
彼としたら、不意打ち攻撃を食らわされたわけで、無言しか出なかったのは当然のこと。でも話をし始めたら、彼も私と同じような感情を振り切れずにいたことが少しずつ分かり始めてきた。
今どうしてる、何してる、今まで何があった、どうしてきた、これからどうする、そんなことを淡々と、時々笑い声も発しながら延々と会話は続いた。宙ぶらりんに終わっていた関係、今どうしているんだろう。元気だろうか。幸せだろうか。このまま中途半端に一生お互いのことを知らずにいるんだろうか、でも本当は終わりきれていなかったから、お互い暗闇に浮かびながら漠然と苦しんでいた。今までずっと、ずっと。
目的駅に近付き、もう行かなきゃと私が言う。ローラのとこに今夜は泊まるんだ、と伝えて。
“I’m glad we finally got over it.”
-- コトにやっとけじめがつけられて、嬉しいよ –-
うん、うん、そうだね。
電話を切って車窓の向こうにより深く続く緑にまた目をやり、爽快なため息が漏れる。
やっと終わった。やっと、過去になった。

☆☆☆

NY生活7年、そして日本に戻ってきてからもお正月時期はいつもShaneとアメリカに行ってたから、岩手の両親をお正月に訪れるのは本当に久し振り。
両親の家に着いてから真っ先にしたのが、自分のモノの整理。20歳のときに1人暮らしを始めてから、12回繰り返した引越し人生、そのせいで、自分の大事なモノをいつも把握していたい性分。そしてとにかく余計なものは潔く捨てる。
まずは学生時代から20代まで続けていた執筆活動中の作品の整理。内容は笑っちゃうが、原稿用紙800枚程度に及ぶ自分にとっては大作品2つの安全をまず確保。自分で描いたマンガやイラスト、その他スケッチなども含めた作品を整理し、その後ガラクタ処分に入る。
その中で、他の過去の手紙たちに混じってそれらは突然現れた。
見覚えのないグレーの封筒の中にぎっしりつまったラブレターと私の日記。
受け取ったことさえ覚えていない手紙は、13年後に読んでも一切記憶に蘇らない。
自分の日記を読んで、当時どれだけ真剣に彼を愛していたか、どんなに深く自分を分析していたか、その熱い思いに我ながら心打たれた。本当に本当に頑張ってたんだ。心から彼を大切に思っていたんだ。
そしてここまで熱く深かった思いが今記憶の片隅にさえも残っていないことに、愕然となった。彼との別れは悲惨だった。振り返ってみるとChrisの時ほどではないが、生きていく自信が全くなくなるほど潰れていた。なのにNYへ1人飛び立ち、そこで次の恋愛に出会ってから、その激しい思いは単なるページの一枚にと変わった。
恋愛感情とは、脳に生み出されるある物質で起こるという、そしてその物質の寿命は3年。だから3年以内に次の感情 -- 家族愛、友情愛、無私愛 -– に移らなければ、いずれ恋には終わりが来る。
終わった自分のいくつもの恋を長年経った後に眺めると、いろんなことが理性的に見える。客観的に読む昔の彼からのラブレターは、自分が私を大切に出来ない言い訳のかたまり。私が子供だからと責任転換。こんないい加減なふざけたヤツだったのか!と今になると吹き出してしまうほど。なのに当時は大切な彼の愛情の形見だった。
その時の彼の気持ち、私の気持ちを一通り読み終え、ふうと一息つき、その一切をグレーの封筒の塊のまま、燃えるごみ行きの袋に放り込んだ。

☆☆☆

どれもこれもの私の今までの恋愛が、全て真剣で本物であったことに疑問はない。全て深く長かった。相手を心から大切に思い愛した。でも、うまくいくと信じた関係に必ず終わりが来てしまう。それは自分のせいなのだと、やっと心から思えるようになったのは最近のこと。相手のせいにしている限り、今後も同じ失敗を繰り返すだけ。

今、好きな人がいる。
仲間でパートナーで、毎日目の前で一緒に仕事をしている彼。友達以上恋人未満の関係になって暫らく経つ。
1/5は彼の誕生日。カードを目の前にしながら、書きたい言葉を思い描く。
幸せになりたい。そんな幻想ではなく。
心からあなたに幸せになってもらいたい。そんな妄想でもなく。
今の私の素直な気持ちは、これ。
そしてこの気持ちを大切にして、これからも精一杯生きていく。

Wednesday, June 8, 2011

Manga "We Are Ocean's"

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Friday, March 25, 2011

From Reception to a Fundraising Event



We rescheduled this event due to the recent quake, and turned into a earthquake fundraiser.
Thank you for your support and love.

We took both money donations and goods. The money was used to sent the goods directly to shelters and to buy things they need and send them.

March Featured Artists
Divya Cherian & Asuka Komai Wadleigh (http://asukakomai.com/)

With Special Guests: Belly Dance by Sasha and Eriko, Drum performance,: Naoya(Darbukka), Yuichi(Cajon), Live music and songs by Samantha, Live Shamisen by Shamimaster Toshi, Live painting by Divy, Live music by wilhelm from asduskfades, Martin Leroux & JJ Vicars, DJ Randy Pommere
Doors open at 5:00pm

http://www.thepinkcow.com/
Tel. 03 3406 5597

FOR EARTHQUAKE RELIEF EFFORT
Items to donate

Warm Jackets
Socks and Underware – new only, all sizes
Warm Blankets – small enough to send easily
Baby clothes & items
Diapers
Bath towels
Soap
Toilet paper
Wet towels
Women’s sanitary products – sealed packages only
Tooth brushes & tooth paste
Disposable tableware
Chopsticks
Paperplates
Spoons
Cups
Canned food/ can openers
Dried food

Thursday, March 3, 2011

Setup day

It was a bit hard to carry some of heavy art pieces from Shibuya station to The Pink Cow, an art cafe that has kindly offered me to have an artshow, especially after a night I had a fun long salsa dance party time.
It had been hard to believe that I was about to have my first show in Japan until I actually hung my paintings up on the wall.
"Hello, me." I whispered to each of my paintings that were staring back at me.



Tuesday, February 22, 2011

Artshow



My first show in Japan.

The Pink Cow
http://www.thepinkcow.com/
Villa Moderuna B1, 1-3-18 Shibuya, Shibuya-ku Tokyo
+81 3 3406 5597

Friday, February 4, 2011

Seduction



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