Sunday, March 11, 2012

9・11 – ナイン・イレブン


3・11 1周年。人々が1年前の事を改めて思い話し聴き記している。 
そんな中、ニューヨークで目の当たりにした過去の9・11を思った。 

体験した直後に長々と英語で綴った日記があった筈なのだが、コンピューターを転々としているうちにエッセイフォルダーから消えてしまっている。Damn it. 

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2001年9月11日朝、大きなポートフォリオバッグを担いで私はいつものようにブロンクスのアパートを8時過ぎに出て、朝の授業に出席する為に当時通っていた州立大学へと向かった。 
大学はマンハッタンのミッドタウンでもウォール街に近い27丁目にある。地下鉄でおよそ35分で着くのだが、その日の電車は何かおかしかった。ニューヨークの地下鉄の事故や故障や遅れは日常茶飯事。 でもその日は、ストップ・ゴーの仕方が異常なように思われた。動いたと思うと突然がくんと暗闇の中で静かになる。もうすぐ9時、授業に遅れてしまう。世界一聞き取る難易度が高い(ラテン系やアフリカン系のアメリカ人が独特の強い訛でぼそぼそと早口で呟いているのだから)と有名な地下鉄内アナウンスからは、いつも通り何が起こっているか理解不能。 
何とか大学傍の駅に到着し、クラスルームへとダッシュする。9時に始まる授業にちょい遅刻したが、生徒は半分程しか集まっていない。教授の姿は無し。10分、15分と経過し、それからぽろぽろと生徒が集まる部屋の中で、『あの時間にうるさいマイヤー教授が?』と私も含め騒ぎ始める生徒達。 
20分程経過しただろうか、騒然となり始めている部屋に初老のマイヤー教授が飛び込んで来た。 
『大変な事が起こってしまいました。身支度をして帰宅出来る状態で、皆講堂に集まりなさい。』 

巨大スクリーンが中央に位置する講堂には既に大勢の生徒が集まっており、教授達の表情からも尋常でない雰囲気はすぐに読み取れた。スクリーンに映されるツインタワーからもくもくと激しく立ち上がる煙。青空をバックに鮮明なその姿が目に飛び込み、新しいCGの発表会かと一瞬思う。その途端、ゴゴゴゴゴーッと音を立てて最初のビルが崩れ落ちた。 
何故こんな映画を今見せられているんだろう。 
Surreal – ビビッド過ぎるその光景はあまりにも非現実であった。信じられなかった、信じたくなかった。けれどビルが崩れると同時に一気に起こった叫び声はしっかり現実で、号泣し出す人までいる。 

信じられなかった、信じたくなかった。 
ツインタワーを中心にした摩天楼は、私にとってはかけがえのない存在だった。 

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私が突然ニューヨークに単身飛び込んだ経緯は深く複雑である。 
端的に言えば、不運に不運が重なってほぼ全てを失ったから。全てを失って茫然自失状態で周りを見た時に手元にあったのは、丁度亡くなった祖父が意表をついて残してくれた100万円と、目の前に転がっていた不真面目に続けていた英会話のテキストブック。 
アメリカに行こう。 
お金もコネも友達も親戚も当ても仕事も目的も英語の能力も住む場所も生活の手段も何もない。けれど100万円を使い切って泣いて日本に戻って来ても、今と変わらないだけ。ダメモト。失うものがないから怖いものはなかった。 
何故ニューヨークなのか。 
何も深く考えず当然だろうと選んだ場所は、当時は目を瞑って地図を指差してみました的に考えていたが、思えば昔からの想いが無意識に重なっていたのだろう。 
子供時代、東北の田舎町や郊外を転々としていた私の家族。その為であろう、大都会がずっと憧れだった。中学の時にマンハッタンの摩天楼夜景写真のタペストリーを購入、自分の部屋の窓に掲げ、まるで自分の窓から摩天楼が見えているような気分に浸っていた。 
学生時代毎日のように眺めていたその光景が、それから何年も経った時にも深く脳裏に焼き付いていたに違いない。 

怖いもの無しで全くの白紙から始めた新地での生活は何もかもが新鮮で、生まれ変わった私がいた。生きている意味と感動を改めて理解した。どんなに苦しくてもつらくてもやり切れなくても、私を包む空気は光り輝いていた。洗濯物を抱えてランドリーに向かいながら、呼吸1つ1つを楽しんでいた。 
それでも、若さと余る体力があったから出来た生活は本当に大変だった。1日3~4時間の睡眠、1日3ドル(約300円)以下しか使えないのは当たり前。日中は25セント(25円)のベーグルで凌ぎ、夜は日本食屋でのバイト先でのまかない食で凌ぐ。バイトを重ね走り回っているうちに、インターン先のギャラリーオーナーから提案された『大学』という道。締切りギリギリの時、無い時間を絞り出して勉強して合格。プロのアーティストになろう、やっと目標が出来たその頃。 
苦しくてつらくてやり切れなくなった時、日が沈む頃に行ったのがブルックリン橋。長い橋を真ん中までてくてくと歩き、そこから言葉に尽くせない光景を眺める。暗くなる世界にそそり立つツインタワー。世界を圧倒するビルからの数え切れない灯り。30分、1時間、時間が許す限り生の摩天楼を眺め続けた。 
彼らがそこにいる限り、私は大丈夫だと思った。 
生のツインタワーが、私に勇気と力と励ましを与えてくれた。 

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『みなさん、今すぐ自宅に帰りなさい。ここに留まっていては帰れなくなります。』 
大声で舞台中央で叫んだのは副理事長だった。 
転がり落ちるように講堂から流れ出す人々。 
唖然と佇む私。まだニューヨークに親しい友人も家族もいない身、電話する相手も迎えに来てと頼む相手もいない。どうやら地下鉄は何本か動いているらしいから、アパートには帰れるかもしれない。でも私の頭の中にあったのは、 
“今夜のバイト今夜のバイト 今夜のバイト 今夜のバイト 今夜のバイト 今夜の…” 
大学のカフェテリアで課題を片付け、午後になってから、どうやら地下鉄もバスもなくなってしまっているらしい街の中へ出る。7番街に立つと、空を覆い隠すように立ち並ぶビルの向こうに、もくもくと生々しく立ち上る煙があった。 
不思議な事に、涙はそれまで出ていなかった。というより、感情が私の中から消えていた。ただひたすら頭の中を埋め尽くすのは、 
“今夜のバイト 今夜のバイト 今夜のバイト 今夜の…” 
これがパニックというヤツなのか。感情に支配されていては1人で生きている私は生き残れない。そんな余裕は私にはない。 

道のあちこちが封鎖され、目に映る車輛は救急車とポリスカーだけ。信じられない数の警官達のウォーキートーキーから頻繁に聞き取れる情報。もう電車はない。バスもない。でも肝心のウォール街はどうなっているのか。何故か一度も呼び止められることもなく、事故現場により近いヴィレッジに向かって、今は黒々と見える煙に向かって、通れる道をひたすら歩き続けた。 
バイト先の、騒然とした街仲に佇む日本食レストランにようやく辿り着き、 店内が真っ暗な鍵のかかったドアの前で膝を抱えて座り込む。夕方4時位に着き、こんな時に食事をしにくる人がいる訳がないとはっと我に返ったのが5時半。 
慌てて飛び起き、走るように煙の反対側へと逃げ始める。 
警官達のウォーキートーキーから聞き取れる情報で、Aトレインがかろうじて動いていることや臨時バスの情報を収集し(当時はスマホがないどころか、携帯だって役立たず)それでも最終的には疲れ切った足を引きずって自宅に辿り着いた頃には夜はすっかり深まっていた。 

真っ暗なアパートでカウチに倒れ込む。電話は一切通じない。コンピューターの電源を入れ、家族知人に私の無事を伝えないといけないことをようやく思う。メールに入っているのは、 当時フランスのパリに住んでいた恋人と、日本にいる弟からの心配したメッセージ。どうやら時間的に、ニューヨーク現地にいる私達より、日本のプライムタイムニュースを見ていた日本人の方が状況を把握しているらしい。そういえば、私、何も知らない。何が起こったの。どうしてこうなってしまったの。 
彼と弟に返信してから、テレビを付ける。 

崩れ落ちるツインタワー。 
崩れ落ちる私の励み。 
初めて転がり落ちる涙が、それから一晩中止まらなかった。 
夜中に部屋で1人、号泣していた。 

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3・11は東京で皆と同じような経験をし、帰宅難民的な中でメジャーな被害もなく、家族親戚も皆無事で、友人の安否も確認出来た。 
ただ、この出来事には個人的に途轍もなく大きな意味が1つある。 

この震災で、それまで苦しんでいた結婚生活にやっと終止符を打てた。 

この震災の直後に、日本では大勢の人々が結婚あるいは離婚をしたと聞く。こんな経験をすると、自分の人生にとって一体何が大切なのか真剣に考える、貴重な時間を一瞬とも無駄に出来ないと心から思う。私は私の為に生きなければいけない。私は世の中で1人だけなのだから。 
ニューヨークで出会ったアメリカ人と結婚し、そのことに依って皮肉なことに東京で生活することになってから、リンボー(Limbo)の中に長く閉じ込められ自分を失って身動き出来なくなってしまった私、そこから開放され自分と自分の世界をやっと見付けることが出来たのは、この出来事の為。 

以下は、ほぼ自分の為に今綴ってみる当時の自分のツイッターから。
(オリジナルが英語なので、日本語訳も付けてみます) 

I am Japanese, and I am proud of it. – 3/12 
3/12 私は日本人、そしてそれを誇りに思う。 

We are rescheduling this event due to the recent quake disaster, and turning into a earthquake fundraiser. Save our beautiful country. 
Thank you for your support and love. – 3/15 
3/15 このイベントは震災により延期し、震災被害者救済イベントへと変更します。この美しい国を守りましょう。援助と愛を有り難うございます(※3/11は私の個展のレセプションが予定されていた)。 

I never felt proud to be Japanese this much -- what a strong country with beautiful spirit. – 3/15 
3/15 日本人としてこれほど誇りに思ったことはない。美しい精神を持ったなんて強い国なんだろう。 

Some friends and family are telling me to come to the States. However, I want to stay and work in Tokyo so our economy won't collapse. – 3/17 
3/17 友達や夫の家族の何人かはアメリカに来いと言っている。けれど経済が崩れないようする為に東京に残って働き続けたい。 

2:46 PM, pray for those who suffered and died. – 3/18 
3/18 2:46 PM、被害を被った人々と亡くなった人々の為に祈ろう。 

My life's been changing dramatically. If you keep moving no matter how hard your life is, greatness and happiness will meet you in the end. – 3/20 
3/20 私の人生は劇的に変わっている。どんなに人生が厳しくても動き続けてさえいれば、必ず素晴らしさと幸せが終わりに待っている。 

Thank you very much everyone for your support and love, I had a great night at the Pink Cow. Japan is such a beautiful country – 3/22 
3/22(震災イベントの日) みなさん援助と愛を有り難う、ピンクカウで素晴らしい夜を過ごしました。日本ってなんて美しい国。 

My boss told me yesterday, that his friend went to Shinjuku on Monday, stood on the street asking for donations, and he collected 360,000 yen within mere 3 hours, and almost all donators were young Japanese people. 
This story moved me and I felt like crying 
We have great young people here. I am sure this country will recover and get even better soon. – 3/23 
3/23 昨日社長が教えてくれたのだが、彼の友人が月曜日に新宿に行って寄付金を募る為に道端に立ち、たった3時間で36万円集まり、しかも寄付した人々は殆どが若い日本人だった。 
この話に感動して泣きたくなった。 
この国には素晴らしい若者がいる。私達が立ち直って更に良くなることに疑問の余地はない。 

My second life started when I flew to NYC. Now the third life has just started today. I know it will be as wonderful. Thank you everyone I met in the previous life, what I am now is thanks to all of you. -3/25 
3/25(離婚が成立した日)私の第2の人生はニューヨークに飛んだ時に始まった。そして今日、私の第3の人生が始まった。同様に素晴らしくなることが分かる。以前の人生で出会った全ての皆さん本当にありがとう、今ある私は皆さん全てのお陰です。 

Realizing that I am surrounded by caring people who have always wanted to see me happy, and who are happy to see me happy now. – 3/27 
3/27 常に私に幸せになって欲しいと願っている人々、そして今私の幸せを見て幸せになってくれいる人々に囲まれていることに、今気付いている。

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