Thursday, January 5, 2012

ラブレター Love Letters

それは他のガラクタや書類の中からふと現れた。
13年ほど前の恋愛の欠片。存在さえ忘れていた、当時の彼からのラブレター、そして私の日記があちこちに散りばめられた当時の手帳。
NYへ行く前の古い古い昔の恋。すっかり記憶から消されていた当時の深い感情と愛情が、そこに赤裸々に刻み込まれ、躍動感溢れて私の目に飛び込んできた。

☆☆☆

過去の数々のラブレターの中で最も感慨深く切ない1通は、ある寒い1月の夕方に届いた。
始まりは、岩手に住む母からの短い電話。
「Chrisから厚い手紙が届いたんだけど。」
どうしようかと思った、開けようか捨てようかいろいろ考えたんだけれど、決めるのはアンタだから、と、東京のアパートに送ったという。

Chrisは、NYに住んでいた時の恋人だった。生活を共にし、仕事も一緒にし、心から愛した人、”Love of My Life”と心から信じ、終わりのない二人の生活を疑いもしなかった。
なのに、終わりはやってきた。未来のない関係を受け入れることは、死ぬほど辛かった。必死で断ち切り振り切ろうと苦しんだ期間は長かった。
そんな中NYで出会ったShane。とある理由で半年ちょっと1時的に日本に戻る私を追い、彼が付いて来て、そのまま東京でプロポーズされて結婚。ひょんなことから出会った飲食業プロデュース界でのデザイン業が波に乗り、友達も出来始めて東京生活が面白くなり始めた頃、夫となったShaneと話し合いをし、これも良い機会だから東京生活をもう暫らくトライしようかと、取得直前のアメリカビザを辞退しNYに戻るのを延期し、二人で日本生活を続けることに。
Shaneとの愛と笑顔に毎日包まれ、ようやく訪れた平穏な生活の只中に、その1通はやってきた。
「厚い」なんてもんじゃない。はち切れそうな封筒の中から飛び出してきたのは、手紙というより書類。短編小説的な量の、見覚えのあるかわいく几帳面な手書き文字。
今になってどんな怒りを私にぶつけようというのか。恐怖で体が硬くなり、読まないで捨てようかと長いことためらった。けれど、私に伝えたいChrisの今の気持ちを知らないまま今後の人生を歩むのも同様に怖かった。Chrisとは一切連絡を絶っていたから、私の日本行きまでは知っていたけれどその行き先までは知らない彼、私の両親の住所は知っていた。そこまでして私に届けたかった彼の「なにか」。文句と侮辱の言葉を覚悟し、読んだ後に立ち直れなくなるほど思いを引きちがれるかもしれない覚悟をし、震える手を抑えながら読み始めた。

散りばめられた文字達が、彼の精一杯の素直な気持ちで悲しく切なく苦しく懸命に踊っていた。留まることなくつづられていたのは、私との生活、一緒にやってきた事、思い出して微笑む数々の思い出、懐かしい出来事。
一緒にギターを弾いた、一緒に公園で走った、一緒にテレビを見た、一緒に野球を見に行った、一緒におしゃべりした、一緒に仕事の準備をした、一緒にドライブした、一緒に電車に乗った、一緒に料理をした、一緒に寝た、一緒に笑った、一緒に泣いた、一緒に色んなものを見た。
今になって分かる価値。感謝しなくてごめん、料理にケチつけてごめん、助けてあげられなくてごめん。もう遅いけれど、全部ごめん。時間がかかっても、また元気になって。傷を癒してまたオレの好きだったアスカに戻って。

今更何よ。行き場のない感情が私の体中を走る。こんなにも私のことを知っている。こんなにも私を理解している。なのに、どうして私を突き落としたの。私を散々傷つけた後で、今更どうしてこんな事を伝えるの。その通り、遅いのよ、戻ることは不可能なのよ。
理解不明の涙が止まらない。丸2日泣き続けた。いたたまれない動揺を夫のShaneから隠すことは不可能で、完全に察しながらも聞きだそうとしない彼に説明することも諦め、ただその手紙を見せることにした。彼のデスクにそのはち切れんばかりの封筒を置き、前の恋人からの手紙であること、今泣いているのはそのせいであること、読むのも読まないのもShane次第、どちらにしても今から1週間後に捨てること、を懸命に伝えた。
無言で頷き、手紙をコンピュータの後ろに立てかけるShane。その手紙はその後1週間その形を一切変えることなく、そこにずっと同じ状態で座っていた。
1週間経ち、私はその手紙をデスクから取り上げ、燃えるごみの袋に放り込んだ。

☆☆☆

愛情溢れた結婚生活に影がさし、もがけばもがくほど悪化する負のスパイラル地獄に落ち始めたのは、それから1年ちょっとが経過した頃。それまでは心から幸せだった。仕事、家庭、友人達、全てが上向きに見え、自信に満ち溢れた日々。何も怖くなかった。何でも可能だと思った。
東京での生活に落ち着いてからも、家族や友人やクライエント達を訪れにShaneと一緒にアメリカに毎年2回ほど行っていた。その都度Shaneの隣で微笑みながらも、振り切れないどうしようもない感情が私を解放してくれなかった。
過去の恋人は、どんなに別れが苦しくても、いずれ過去になる。大抵は、次の恋愛が始まる頃。「過去になる」とは、思い出してもどんな感情も一切湧き上がらないこと。そんな事があったねと、他人事のように口に出来ること。
それがChrisの場合、他の人と結婚した後でさえずっと出来ないでいることに気付いていた。普段は考えないし思い出したりもしない。Shaneへの愛情は本物。けれどほんのたまに見てしまう夢 --- Chrisに電話をしようとして、どうしてもダイアルが出来ない。Chrisの姿を見つけ、追っているのにどうしても追いつけない。歩こうとしているのに歩けないような苦しさ。目が覚めるときに襲うのはいたたまれないほどの苦い気持ち。
かつてNYで毎日のようにダイアルしたChrisの電話番号は、思い出すつもりがなくても目をつぶってでも出来る。アメリカの地に足を着ける度、ダイアルしたくなる衝動。彼の元に戻りたいのでは全くない。やり直しをしたい気持ちは一切ない。望んでいたのは、彼から心から解放されること。苦い夢をもう見たくない。彼に、過去になってもらいたかった。
でも電話をしてどうするというのか。何を話すというのか。自分の感情が何かすら分からない。彼に何を求めたいのか検討もつかない。
そんな日々の中、Shaneとの終結がやってきた。

Shaneとの終わりにChrisは一切関係ない。あの手紙以来Chrisの話をすることは一切なかったし、日本にいる時は100%Shaneに想いを託し、彼を愛した。別れがお互いにとっての幸せなのかも知れないと気付いてからも、結論に達することが出来たのはそれから1年以上の後。後悔はしたくない、だから結論を出す前に、思いつく限りのこと、出来る限りのことをトライしたいと思い、出し尽くすほどのベストを尽くした。
だからこそ、無理に一緒にいてお互いを傷付け続けるのが答えではないと、悲しいながらも理解に至り、離婚を決意。

離婚成立後、書類整理、身辺整理、引越しと毎日の仕事の中でばたばたし、落ち着き始めた辺りに、雑用を片付けに1人でNYに飛んだ。
半月ばかりの滞在中、コネチカットに住む友人宅に招待されて、ある週末のお昼時、グランドセントラル駅からメトロノースに乗った。
夏の太陽が気持ちよく、車窓から見える緑が目に心地よく飛び込んでくる。アパート、川、公園、私もかつて一部であったNYでの生活を眺めながら、私の指が携帯電話の番号を押していた。頭から消えることのない番号を。
“Hi Chris, it’s Asuka(クリス、アスカだよ).”
“...”
“Hello?”
“...”
“Chris? It’s Asuka.”
“...”
“Can you hear me(聞こえてる)?”
拒否されるかもしれないことは覚悟していた。長い沈黙、やっぱり駄目かと思った。自分自身、何を言うつもりで電話をしてるのか分からない。別れてから5年近く、あの手紙から3年半が経っている今、何の為に電話したと怒られても仕方がない。彼だって、私のいない新しい生活でとっくに次のステップに移ってるんだろうから。
“Yeah, yeah, I can hear you(うん、うん、聞こえてるよ).”
思いつめたような長く重い無言をいきなり破って私の耳に入ってきたのは、吹っ切ったような明るい声だった。
彼としたら、不意打ち攻撃を食らわされたわけで、無言しか出なかったのは当然のこと。でも話をし始めたら、彼も私と同じような感情を振り切れずにいたことが少しずつ分かり始めてきた。
今どうしてる、何してる、今まで何があった、どうしてきた、これからどうする、そんなことを淡々と、時々笑い声も発しながら延々と会話は続いた。宙ぶらりんに終わっていた関係、今どうしているんだろう。元気だろうか。幸せだろうか。このまま中途半端に一生お互いのことを知らずにいるんだろうか、でも本当は終わりきれていなかったから、お互い暗闇に浮かびながら漠然と苦しんでいた。今までずっと、ずっと。
目的駅に近付き、もう行かなきゃと私が言う。ローラのとこに今夜は泊まるんだ、と伝えて。
最後にChrisが言った。
“I’m glad we finally got over it.”
-- コトにやっとけじめがつけられて、嬉しいよ –-
うん、うん、そうだね。
電話を切って車窓の向こうにより深く続く緑にまた目をやり、爽快なため息が漏れる。
やっと終わった。やっと、過去になった。

☆☆☆

NY生活7年、そして日本に戻ってきてからもお正月時期はいつもShaneとアメリカに行ってたから、岩手の両親をお正月に訪れるのは本当に久し振り。
両親の家に着いてから真っ先にしたのが、自分のモノの整理。20歳のときに1人暮らしを始めてから、12回繰り返した引越し人生、そのせいで、自分の大事なモノをいつも把握していたい性分。そしてとにかく余計なものは潔く捨てる。
まずは学生時代から20代まで続けていた執筆活動中の作品の整理。内容は笑っちゃうが、原稿用紙800枚程度に及ぶ自分にとっては大作品2つの安全をまず確保。自分で描いたマンガやイラスト、その他スケッチなども含めた作品を整理し、その後ガラクタ処分に入る。
その中で、他の過去の手紙たちに混じってそれらは突然現れた。
見覚えのないグレーの封筒の中にぎっしりつまったラブレターと私の日記。
受け取ったことさえ覚えていない手紙は、13年後に読んでも一切記憶に蘇らない。
自分の日記を読んで、当時どれだけ真剣に彼を愛していたか、どんなに深く自分を分析していたか、その熱い思いに我ながら心打たれた。本当に本当に頑張ってたんだ。心から彼を大切に思っていたんだ。
そしてここまで熱く深かった思いが今記憶の片隅にさえも残っていないことに、愕然となった。彼との別れは悲惨だった。振り返ってみるとChrisの時ほどではないが、生きていく自信が全くなくなるほど潰れていた。なのにNYへ1人飛び立ち、そこで次の恋愛に出会ってから、その激しい思いは単なるページの一枚にと変わった。
恋愛感情とは、脳に生み出されるある物質で起こるという、そしてその物質の寿命は3年。だから3年以内に次の感情 -- 家族愛、友情愛、無私愛 -– に移らなければ、いずれ恋には終わりが来る。
終わった自分のいくつもの恋を長年経った後に眺めると、いろんなことが理性的に見える。客観的に読む昔の彼からのラブレターは、自分が私を大切に出来ない言い訳のかたまり。私が子供だからと責任転換。こんないい加減なふざけたヤツだったのか!と今になると吹き出してしまうほど。なのに当時は大切な彼の愛情の形見だった。
その時の彼の気持ち、私の気持ちを一通り読み終え、ふうと一息つき、その一切をグレーの封筒の塊のまま、燃えるごみ行きの袋に放り込んだ。

☆☆☆

どれもこれもの私の今までの恋愛が、全て真剣で本物であったことに疑問はない。全て深く長かった。相手を心から大切に思い愛した。でも、うまくいくと信じた関係に必ず終わりが来てしまう。それは自分のせいなのだと、やっと心から思えるようになったのは最近のこと。相手のせいにしている限り、今後も同じ失敗を繰り返すだけ。

今、好きな人がいる。 
幸せになりたい。そんな幻想はなく。 
あなたに幸せになってもらいたい。そんな妄想もなく。 
今の私の素直な気持ちは、これ。 
この気持ちを大切にして、これからも精一杯生きていく。